最後の7日間(6)

最後の7日間(6)

7月5日(火)

昨日はこの日記を書いたあと布団をかぶって寝た。

誰かのうなっているような声で目が覚めた。蒲団から顔を出すと、妻がおそろしくゆっくりした動作で私に近づいてくる。その姿がどこかで見た光景に似ていると思った。

映画で見たゾンビだ。緩慢な動きで人間を果てしなく追いかけてくるあのゾンビだ。私は悲鳴をあげ家の外に飛び出した。

町はゾンビだらけだった。帰宅途中のサラリーマンの格好をしたゾンビ、手を握り合って笑い合っているゾンビ、学生服のゾンビ、携帯電話で喋りながら歩いているゾンビ・・・

私は昨日の公園へ走った。そしてベンチに座り震えていた。どのくらいじっとしていただろう。私は妻をゾンビに例えたことを後悔していた。

できるだけ時間をかけて家に帰った。妻が私の部屋から出てくるところだった。私は、妻の脇をすり抜け部屋に鍵を掛けてまた布団をかぶった。私のいる場所は布団の中しかなかった。

何度か目が覚めては寝るの繰り返しだった。目が覚めても布団の中から顔を出さなかったので今が何時か分からない状態だった。しかし、意を決して布団から顔を出すと、外が少し明るくなっていた。

時計を見ると午前4時38分だった。

秒針は動いていない。しばらくじっと見つめるが動かない。

私は沙織の部屋に行った。沙織は昨日私が買ったぬいぐるみを抱いて寝ていた。その隣で妻が添い寝をしていた。私が寝室に鍵をかけてしまったので入れなかったのだ。

おはよう、と声をかけるが起きる様子はない。

その後あまり記憶がない。気がついたら私は近くのコンビニエンスストアにいた。店には数人の客と、品出しをしている店員がいた。

誰も動いていない。

検品した牛乳を棚に入れようとしている店員の手が空中で止まっている。

今まさに本棚から週刊誌を取ろうとしている男の手が止まっている。

何かが私の中で弾け飛んだ。

その瞬間、私は大声をあげながら陳列されている酒を買い物かごの中に放り込んだ。ビール、日本酒、ワイン、ウイスキー、とにかく目につく酒を片っ端からかごに入れた。何本か床に落ちてビンが割れたが構わなかった。2つのかごがいっぱいになると、それを両手に持ってそのまま店を飛び出した。

家につき、風呂場に駆け込む。一升瓶をあけそのまま飲んだ。やがて酒を頭からかぶった。次から次へ栓を抜くと、がぶ飲みした。

とにかく正気でいたくなかった。気が狂えるということは幸せなのかもしれないと思った。

飲みすぎて吐いた。吐瀉物をシャワーで流そうとした。そういう自分の中の理性がたまらなく嫌だった。シャワーのコックをひねるが湯が出てこなかった。水の流れも止まっているのだ。

シャワーの水さえ私を避けているのか・・・ ふざけるな、冗談じゃない。

やけになって更に飲んだ。足腰が立たなくなってその場にしゃがみこんでも飲み続け、さらに吐いた。空になったワインの瓶を怒りに任せて壁に叩きつけた。

瓶が割れ、跳ね返ってきたガラス片で腕を切った。傷口から血が流れ出した。その赤い筋を見て、私は衝動的に死にたいと思った。

切っ先の鋭いガラス片を取って、首筋の頸動脈あたりのところに当ててみた。これで力を込めれば死ねる。

その時、不意に沙織と妻の顔が浮かんだ。死ぬのは二人の顔を見てからでも遅くない。私はびしょ濡れのまま風呂場を出て、沙織の部屋に行った。二人はさっきと同じ姿勢で眠っていた。

私は、穴があくほど二人の寝顔を見つめて、部屋を出た。寝室に戻り真新しい下着とワイシャツに着替えをした。せめて死ぬ時はこんな酒と汚物まみれの服じゃなく、奇麗な姿でいようと思ったのだ。部屋を出る時いつもの癖で時計を見た。

午前4時39分を示していた。

いや、おかしい。私が起きた時は4時38分だったはずだ。あれからどのくらいの時間がたったのか分からないが、この世界の時間は完全に止まったわけではなさそうだ。

玄関を出て、大通りへ走る。この時間なら車が走っているはずだ。案の定、数台の大型トラックが国道を走っている。車に近づきタイヤを凝視する。わずかだが動いているのが確認できた。私の感覚の数千分の一、あるいは数万分の一かも知れないが、この世界は止まったわけではない。

と言うことは、いつか妻も沙織も起きてくる。

私は死ぬのをやめた。

私が死んでしまったら、いつか二人が目を覚ました時に悲しむに違いない。

私は決心した。この世界で生きていこうと。

妻と沙織が起きるまで、私の時間感覚で何十年になるか分からないが、その時まで待ち続けよう。

もしかしたら私のように時の流れに取り残された人間がいるかもしれない。

もしかしたらいきなり時間が元に戻るかもしれない。

希望がある限り死ぬのはやめよう。

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