「哲学者の午睡」ご挨拶再掲載

「哲学者の午睡」ご挨拶再掲載

空間旅団の公演では、毎回「ご挨拶」というのをチラシに挟んでお客様に提供しています。読んでもらえればありがたい、けど別に読まんでも構わないという代物。哲学者の午睡の時のご挨拶がフォントのせいで非常に読みづらいというご指摘を頂きまして(笑)改めて再掲載しようと思いました。読み返してみたら、どうやら今回の「ラスコーリニコフのババ抜き」にも通じる事が書いてあって、意識しないでも物語を書く時に自分の中にあるテーマみたいなものなんだなと再認識した次第です。

ご挨拶

「幻が好きだ。

 「実際にはないものが、あるように見えること。また、存在の確認が難しいもの」という定義らしい。

その代表格が僕にとって「アトランティス大陸」だった。子供の頃からアトランティスにまつわる本を読み漁っていた。人類の文化の繁栄を極め、一夜のうちに海に没した幻の大陸。あまりに好きすぎて、僕は脚本作品として、アトランティスをモデルとした国の話を2作書いた。どちらも一夜のうちに消えてしまう儚い国の物語だ。

やがて興味はアトランティス大陸を書き残したプラトンに移った。なぜそんな話を書いたのか。一節によると紀元前1600年頃のエーゲ海でのミノア噴火を元にしたともある。しかし僕にとってはそんな諸説はどうでもいい。プラトンの描いた「幻の大陸」とは何だったのか、それを考えていた。

そこから哲学の世界に興味を持ち、プラトンの師であるソクラテスに興味が移った。やがてこの二人の物語を書けないかと模索し始めた。しかし単純に古代ギリシアの話を書いたのでは面白くない。

「哲学とは格闘技である」そんな言葉を聞いた時、二人の物語をプロレスで描こうとなった。その瞬間テーマも決まった。「世界の二面性」である。

プロレスはガチンコなのかショーなのか。その議論にずっとさらされ続けてきた。しかし世の中も常に二面性の中で出来ている。嘘と真、表と裏、昼と夜、善と悪、愛と憎、富と貧、生と死・・・

人間とは、人生とは、そんな狭間で生きることなのだと思った。

2つの時代の物語を一人二役で描くことにも意味がある。狭間でもがく人々の話を描こうと。

 幻が好きだ。実はもう一つの意味こそ僕が好きな理由だ。

 「たちまちのうちに、はかなく消えてしまうもの」

 舞台に惹かれるのもきっとそういう理由だ。わずか数日でこの物語は消えていく。だからこそその一瞬が輝ける。そしてその輝きは、今日ご覧になっていただく皆さんの中に残るはず。だけどそれもやがて消えていく。幻のように。それでいいと思う。

 夢と現実、そんな狭間の物語である。午睡のときにふと見る短い夢のように。

 最後になりましたが、このような時期にご来場いただき誠にありがとうございます。休むのは簡単ですが、走り出すには勇気がいります。みなさんのお声が、僕たちに一歩踏み出す勇気をくれました。皆さんの中に輝く一瞬を残すために、関係者一同、誠心誠意この物語をお送りいたします。そしていつか何の気を使うこともなく観劇出来る日が来ることを願って。

本日は本当にありがとうございます。」

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