映画は、監督の作家性が重要なもの以外は大抵脚本家が書く。ハリウッドの大作映画は大体2、3人の脚本家がチームを組んで初稿を書き、監督やプロデューサーが手を加えたりして形にし、そして時折スクリプトドクターと呼ばれる別の脚本家がさらに手直しをする。役者が変わると脚本も書き直し、最後の最後まで何年もかけて何回も手直しをする。
小説家には必ず編集者がいる。幻冬舎の見城社長は編集者時代、貰った原稿が真っ赤になるほど訂正を出したという。作家をそれを踏まえ、時には議論を重ねて原稿を書く。
物語を書くというのはそうでなければダメなのだ。
今の小劇場(小劇団)はどうだろう?
劇作家と呼ばれる人間が一人で書いているのが大半ではないだろうか。別にハリウッドのようにチームで書く必要はない。
ただ編集者がいない、もしくはスクリプトドクターがいないことが問題なのだ。
客観的に脚本を読めて、脚本家に忖度せずにダメ出しが出来る人間が必要。
では、劇団で編集者の仕事をやれるのは誰か。
演出家である。
演出家が出来上がった脚本に対して、ちゃんとダメだしをし、意見を言い、提案をする。つまらないと思うところはバッサリカットする。この人物はこんな台詞は言わない、この場面はもっと膨らませて欲しい、この登場人物の存在理由を作れなど。物語の矛盾点を指摘し、作家の余計な思想信条など容赦なくぶった切る。
優れた演出家は、まず優れた編集者であるべきなのだ。
ちょっと待ってくれ、昨今の劇団のほとんどは「作・演出」が同一人物…
そう、かく言う僕も「作・演出」を一人でやっている。
自分の事を棚に上げてあえて言う。
「だから劇団の芝居はつまらないのだ」
自分の事を棚に上げてあえて言う。
「だから今すぐに、劇作家と演出家は分けるべきだ」
劇作と演出、そのどちらの才能も持っている人間なんて、そんなにたくさんはいない。
どちらか片っぽでも、あるだけ立派だ。だったら劇作の才能がある者と演出の才能がある者が組めばいいのだ。
と言うは簡単だけど・・・
小劇団がつまらないと思われてしまう。
理由の一つはそんなところかも知れないと思う。